体験メモ(静かな湖面)

 昨日楽器屋さんに、指板削りをお願いしていたマイチェロちゃんを受け取りに行ってきた。滑らかになった指板は、触れ心地が良すぎてずっと意味もなく触っていたい衝動に駆られる。この楽器屋さんは昨年、先輩ヴァイオリニストに紹介していただいたお店で、長年働いていたクレモナのお店を辞め、日本に帰ってきた日本人職人さんが1人でされている。

 無頓着で鈍感な私は、これまでチェロちゃんの状態を余り気に掛けずガシガシ演奏してきてしまっていた。指板では弦の溝がエグれ、汗かきの手が擦れる左肩のニスは剥がれて可哀想な状態であった。昨年初めて見せた時はさながら病院の診察室のようで、午後の自然光の中、こんな状態だった私のチェロちゃんを静かに隈なく、楽器を乗せた台を動かし、時には手で持って、何度も眺め、楽器の魂を見抜くかのごとく徐々に距離を近づけながら、丁寧に見て下さった。初診。ここは病院の精神科かな。楽器と同時に私の身体や心も診断されているような時間であった。その時は膠の剥がれ数カ所を治していただき、この楽器の今の状態を説明していただいた。こんなに丁寧に扱ってもらったのはもしかしたら初めてかもしれない…。チェロちゃんの笑顔を初めて見た気がする。扱い方でこんなに機嫌が変わるなんて。我々修理屋の仕事は、300年先にもこの楽器が元気に鳴ってくれているようきちんと整えてあげる事ですという言葉に、心が震えた。この方は300年以上先を見据えて仕事をされてる…。来週、いや明日の事すら怪しい自分が恥ずかしい。5年後10年後の将来をイメージしましょう、そんなレベルではなかった。痺れた。宮大工に憧れていた時代もあった自分なのに、今現在目先の事しか考えられていなくて、恥じた。

 以前の診断で、整えて変化を試してみたい楽器の箇所が沢山出たので、今回は指板を整えてもらいたいと思いお願いした。よくこんな溝ができるまで放置してましたね…と驚き呆れられながらも、またも状態を説明していただく。裁縫で使うような柔らかなメジャーで楽器の細かな部分の長さを何度も測りながら、驚かれて、これだと左手は押さえにくいでしょうと指摘される。このチェロちゃんに慣れてしまっていた私は、忘れていた使い始め当初の違和感を思い出す。そういえば少し左手の幅が広いんだった…。ということで、ナットの溝の変更を含む指板削り。あぁぁぁ凄い全然違う。もはや整えるべき部分だらけのチェロちゃんなので、順番に整えて、その変化を実感し経験値を増やしていくのはどうですか、と。確かに一度にいろんな部分を変えてしまうと、どこの変化がどう音に影響出たのか分からない。有難いアドバイスだ。今までこのような変化を実感した事がなかったので、職人さんの仕事と音の変化に感銘を受けた。様々な部分が少しずつ連動して音色が生まれているのだ。呆然としている私に、静かに日本茶を淹れてくれる。急須はイタリア時代も使っていた形見。カップは同級生の作品。なんと色々な有難い繋がりで、実は私もその同級生の方を知っている。千葉の山に籠って作品を作っている芸術家さん。そのカップは私が存じていた作風と全く違っていて、惹きつけられる。若い頃の作品だそうだ。ここ最近、自分の生き方に少し迷いが生じていた私の心を見透かしたかのごとく、静かに沢山いろんなお話しをしていただいた。

 何度お茶っ葉を変えていただいたっけ。話が進むにつれ、私は不思議な感覚を感じていた。幽体離脱的な何か。湖面に立つ私の裸の魂ちゃん。無防備な私のスピリットちゃんが遠くにいた。あ、肉体って精神が動かしてるんだ、などとぼんやり考えながら。楽器の受け取りに来ただけのはずが、3時間以上は経過していた。夕日では何でも良く見えるものだ。朝日は反対。だから、朝見て良いと感じた仕事は信頼できる。などなど。

 その時はぼんやりとしてしまっていたが、次の日に思った。

 身体は、着ている服を脱げば裸になる。精神は。

 精神も服を着ていたんだと気付けたし、裸の自分の精神も見えた。魂の道案内人。深く奥底へ掘っていくのは、木材だけではなかった。

 なんだろう。研ぎ澄まされた嗅覚というか。魂は粒なんだ、とか。つぶつぶが波となって波及する、というか。温もりや勇気や。ふむふむ、精神の場所ってあるんだな。

 頭で考えるだけでなく、実感が伴うのって、嬉しいですよね。まだまだひよっ子だった貧弱な子。もっと動かねば。動きたいと思った。

おわり。文字にするとキモい。伝わりづらい。

(楽器屋が気になった方はメッセージ下さいね)